2018年
昨シーズンをもって18年間の現役生活を引退します。 今まで川崎フロンターレ、セレッソ大阪、FC町田ゼルビア、清水エスパルス、徳島ヴォルティスの5チームに所属してきました。 それぞれのチームで沢山の仲間と出会い、沢山のファンやサポーターから温かい声援を受けプレーできたことは、僕にとって大きな財産です。 今まで自分に関わってくれた全ての人達には、本来でしたら直接お会いして感謝の気持ちを直接伝えたいところですが、こうしてコメントでの発表になる事をご了承下さい。 本当にありがとうございました。 僕自身、昨年は試合に出場する機会が無く、シーズンが終盤に差し掛かるにつれて、自然と引退を意識するようにもなっていました。 一方で、まだまだプレーできる、選手として体が動かなくなるまでやりきりたいという気持ちもありました。 実際いくつかのチームからお話もいただき、どうするべきか非常に悩みました。 ただ、考えれば考える程に、プレーしたいという気持ちより、次に向けて走り出したいという気持ちが勝るようになっていき、引退を決意しました。 現役生活18年、特にフロンターレには2000年の高卒新人の時から11年間に渡ってお世話になり、プロとして一番影響を受けたチームです。 それだけに、今年の悲願の初優勝達成は、自分の事のように嬉しく感動しました。 18年の現役生活は決して順風満帆ではありませんでした。 振り返れば栄光と挫折、というよりは挫折して、また這い上がって、の繰り返しでした。 特に印象深い出来事を2つ。 2010年W杯後に絶対的守護神だった永嗣(川島)が欧州に移籍し、リーグ再開のホーム大宮戦。(0-0) 僕は、2009年にセレッソから復帰したもののベンチ入りさえままならない日々。このまま終わってなるものか、もう一度試合に出るんだ と目標を設定し、自分と向き合い、トレーニングで自分を高め、やってきたことが報われた試合でもありました。 そしてもうひとつ。 2011年に川崎を退団することが決まってからは、もう一度J1の舞台で等々力でプレーするということを目標にやってきました。 2014年、当時JFLの町田からJ1の清水に移籍することができて目標を叶えるチャンスを得ました。 『等々力でもう一度プレー』ということは叶いませんでしたが、敗れはしたものの、日本平で川崎と対戦したあの一戦も、僕にとって本当に特別なものでした。 今シーズンからは、故郷である新潟のアルビレックス新潟で指導者とスタートします。これらの経験を元に、選手としてはもちろん、人間性も優れた選手を輩出していきたいと思います。 最後になりますが、僕を丈夫で大きな体に産み育ててくれた両親。 高校1年生の夏からGKへの転向をすすめ、僕をプロの世界へ導いてくれた恩師の堀井先生には、本当に感謝の言葉しかありません。 本当にありがとうございました。 そして、2000年から始まった現役生活で、2006年からの12年間、妻の存在は僕を大きく変えてくれました。 どんな状況の時も僕を側で支え、見守り、何より毎日僕の体調やメンタルを注意深く観察し完璧な栄養管理をしてくれました。 結婚してからは大きな怪我も無く、ここまで現役を続けてくることが出来たのは、間違いなく妻に出逢えたからです。 ありがとう。 18年間本当にありがとうございました。 これからの第2の人生も全力で挑戦していきます。 相澤貴志
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